日本同盟基督教団
教団史年表
教団史年表
F・フランソン、スカンジナビアン・アライアンス・ミッション・オブ・ノースアメリカ(S.A.M.)創設
○ ヤルマール・リンドストロム以下15名の宣教師来日(サンフランシスコ発11・3、横浜着11・22)。福音教会のG・E・ディーンスト(築地44番)を頼り、男性は築地51番、女性は32番に滞在。14人は、カール・E・アウレル、セルマ・M・エングストロム、グスタフ・F・ジョンソン、エドラ・C・カールソン、ビクター・E・ヘッドベルグ、アンナ・セットランド、ハンナ・アンダーソン、O・A・シーホルム、アルベルチーナ・ジョセフィーン・ピーターソン、アウグスト・スコグルンド、クリスチーナ・L・ジョンソン、クリスチーナ・エングストロム、アンナ・ダニエルソン、メリー・エングストロム
○ 最初の集会で入信した若い学生2人が受洗(12・25)
アイヌ伝道を検討。C・エングストロム、エドラ・カールソン、赤坂氷川町のW・N・ホイットニーの支援を受け麻布谷町、深川小名木川で遊郭や路上生活者への伝道を開始(年初から?)
M・エングストロム、福音教会ナイツ夫人の看病により天然痘で召天(2・26、19歳)
M・エングストロム記念会、各地の伝道に出発のため送別会、本格伝道開始(3・16)
G.ジョンソン、スコグルンド濃尾地震被災地、岐阜の竹ヶ鼻へ、シーホルム神戸へ出発(3・17)
聖書之友春期大会(日暮里村花見寺)でラング、津田仙、本多庸一らと演説、スエーデンの音楽演奏(5・7)
大阪基督教青年会の慈善大音楽会(土佐堀青年会館)でスエーデン人ギター演奏(5・21)
青森美以教会でシーホルム、リンドストロム説教(5・30)
ハンナ・アンダーソン、アンナ・ダニエルソン等女性4人、男性2人が神戸で伝道(6~7月報告)
ミッションの責任者リンドストロムは赤坂氷川町17番6号宮嶋方に在住(10・)
グスタフ・F・ジョンソン、スコグルンド佐貫に伝道(10・)
ジョン・R・バークランド夫妻、マーガレット・ジョンソン、ハンナ・クリステンソン来日(秋?)
伝道地は東京(麻布谷町・小名木川)、上総佐貫、神戸、敦賀、鎌倉。大島に伝道計画(1・13)
ホイットニーの支援を受け、アルベルチーナ・J・ピーターソン鎌倉伝道(2・報告~1900・11・3)
エングストロム赤坂氷川町26番(2・)
リンドストロム麻布谷町から安房天津に移動、谷町はバークランド、エングストロム、カールソン(3・頃)。
白金の魚籃坂下、芝の松坂町にも講義所、いずれも貧民街
佐貫に教会設立(3・頃)、盛況(『基督教新聞』9・8)
グスタフ・F・ジョンソン佐貫で伝道、9つの町村で毎週25集会、11人が受洗(4月報告)
ベルグストロム来日(6・)、ジョンソンと交替(7・)
ビクター・ヘッドベルク、セルマ・M・エングストロム結婚(6・24)神戸で伝道
佐貫八幡でスコグルンドから田丸(萬木)源次郎ら4人受洗、初の聖餐(8・20)
築地美以教会の小方仙之、佐貫応援(8・24)
アウレル上総湊(天羽)伝道(8・頃)
グスタフ・F・ジョンソン鎌倉伝道の後帰国(11・26)
この年、H・アンダーソン、M・ジョンソン船橋で伝道開始。アウレルはハンナ・クリステンソンと結婚。年間受洗者は35、日本人教師1、宣教師15、補助伝道者12、神学生2(『基督教新聞』566)
田丸源次郎、神戸のシーホルムに学び、本所のアンナ・セットランドの補助伝道者となる(1・)
ジョン・R・バークランド夫妻、リンドストロム、クリスチーナ・エングストロム退職願(3・2)
4人の退職とメラーの休暇で宣教師は14人、宣教地は7ヵ所、日本語のチラシを作成(4・)
本所太平町、深川猿江、大島村に伝道所。ヘッドベルク、船橋から移動したH・アンダーソン、M・ジョンソンの後を受けて行徳で伝道(9・)。ヘッドベルク夫妻は2週間ごとに移動して伝道。
フランソン初来日(9・28長崎着~12・26)。フランソン飛騨を10日間旅行し伝道地とする(10・)
フランソン東京着(11・3)、本所柳島町セットランド担任教会(11・4)、深川本村ダニエルソン宅(11・5)で演説、行徳、船橋を経て千葉港町、佐貫、鎌倉を伝道し12日帰京
フランソン、宣教師・通訳者と伝道方針を論議(11・13)、「聖書之友」第11回年会でフルベッキ、堀貞一、美山貫一と共に演説(11・17)。2週間の修養会、スウェーデン語で説教し、上海に向かい離日(12・26)
A・ダニエルソン、田丸源次郎、高山伝道(11・)
フランソンによると講義所12、小伝道所30、日曜学校700人、伝道補助者14人、これまでの受洗者60人。この年、ベルグストロム大島波浮の秋廣傳之助宅で半年間伝道か。
ベルグストロム(船津)、A・ダニエルソン・田丸源次郎(高山)。アウレル(郡上八幡)は3ヶ月の滞在の後、妻ハンナの任地である船橋に移動
ベルグストロム船津大火で救援に活躍、信頼を得る(5・6)。
基督友会の岡崎義孝(押上)が伝道師として加入(4・1~1896年船橋、1999年友会に復帰)
フランソン再来日(6・~3週間滞在)、有馬で説教、船橋でミッションの協議会、ベルグストロムとE・カールソンの結婚式
ヘッドベルク一家帰国、行徳はH・アンダーソンと永井寅太郎が後継(7・)
バルグストロム古川に移動、飛騨で最初の洗礼式(白川亀次郎ら4人、7・14)
ベルグストロム高山に移動、フランソンの立会の下、E・カールソンと結婚(8・17)榊原
高山で基督教大演説会(10・17、来会者2000人)、郡上八幡のH・アンダーソン、ジョンソン来援。五十嵐喜広はベルグストムと別れ飛濃育児院に専心
宣教師10人、日本人教師8人、伝道所8、小伝道所21、受洗者95人(年末統計)
エレン・バークランド中国から転任(2・)、J・R・アームストロング来日(小梅町)
小梅町婦人伝道者布広つね子。船橋(五日市町)はH・アンダーソンと岡崎義孝
船橋の岡崎義孝辞任(3・7)、土浦の基督友会に移る
大島(波浮)で最初の洗礼式、秋広伝之助ら6名(4・1)
船津町大火、ベルグストロム活躍(5・6)
高山同盟教会(三之町)献堂(6・?)。ベルグストロム夫妻一時帰国、後任にH・アンダーソン
田丸源次郎、青山学院神学部で学ぶため上京(10・)
A・ダニエルソン、アームストロングと結婚
アームストロング夫妻(1・26)帰国のためアウレル夫妻再来日(2・16)、田丸源次郎協力者となる
M.ジョンソン(2・28)、E・バークランド(3月末)帰国
ベルグストロム夫妻再来日(初夏)、幕張・千葉で伝道
H・アンダーソンの弟、ヨエル・アンダーソン来日(10・21)、高山に着任(11・9)
A・J・ピーターソン一時帰国(11・3)、鎌倉の伝道はメソヂスト鎌倉教会(日本基督教団鎌倉教会)が継承
ベルグストロム千葉町に移転(12・11頃?)、協力者は武田佐平
土肥貞次大島(波浮)上陸(1・26)
千葉でベルグストロムによる最初の洗礼式(竹山安太郎夫妻、5・26)
須永徳太郎大島伝道開始(9・)
アウグスト・マッソン夫妻来日(10・14)
スウェーデンS.A.Mからゴッドフリード・エリクソン・ティラー来日(10・26~1903・4)
A・J・ピーターソン再来日(12・30or11・)
マッソン夫妻大島上陸(1・12)、この年の受洗者24人
在日本同盟基督協会宣教師社団法人設立申請(6・4)
セットランド帰国(6・6)
織田造、ティラー、高山協会の組織化開始
この年、宣教師11(含夫人、一時帰国者)、日本人正教師1、伝道師5、バイブルウーマン1、会員数約200、教会1、講義所8、総資産1500円、日曜学校5、生徒110
土肥貞次、大島(元村)に定住伝道開始(1・8)
高山教会第一回総会、執事4人を選出(1・12)
フランソン再々来日(3・16~10・)、東京、大島で伝道、大島でマッソン、須永徳太郎、土肥貞次に按手(4・30)。群馬、新潟、東北、北海道、名古屋、京都、大阪、岐阜、岡山、熊本、愛媛ので伝道ののち朝鮮へ
テイラー帰国(4月頃)
高山で津田亀次郎町長家族ら17人受洗(5・21)
高山で眞嶋(日面)リキ受洗(9・27or5・21)
須永徳太郎により伊東伝道本格化(10・)
アウレル退団(10月頃)、米国聖書協会へ
田丸源次郎退団(1・)、日本基督教会両国教会へ
日本同盟基督協会宣教師団法人設立(7・14)
千葉町同盟基督教会献堂(7・17)
古川町大火(8・25)により古川に土地取得
ピーターソン美濃八幡から千葉へ
ベルグストロム本所・船橋・千葉で大挙伝道(1月中旬)
人口5千人の大島では6ケ村に信徒100人・マッソン
伊東で教役者会(8月)
小梅町教会・ベルグストロム宅焼討(9・6)、本所松倉町の講義所(星野房次郎)も内部破壊
古川教会献堂、初代牧師須永徳太郎大島から赴任
小林恭平伊東に、真島慶三郎深川猿江町に赴任(1・)
杉本光平が千葉協会赴任(3・28)、武田佐平は波浮に赴任、同年11月岩国日本基督教会講義所に転任
A.ストーン来日(病のため短期で帰国)
古川で最初の洗礼式森兼次郎ら4人(6・3)
年初か前年H・アンダーソン帰国、M・アンダーソン来日
伊東講義所認可(3・20)、伊東にマッソン赴任(11・16)
同盟協会第一回伝道(4・18~20)、聴衆2,426人、決心者151人。説教者24人
ミッション中野教会現在地を購入(11・30)宣教開始
千葉教会吾妻町に献堂式(5・10)
フランソン、コロラド州アイダホで召天(8・2)。
中野に真嶋慶三郎(11・)、新島に関口為吉赴任(11・13)
田丸源次郎東京に戻り、築地福音神学校入学(~89年2月)、アウレルの伝道を助ける。
前年夏に伝道を開始した幕張に会堂兼教師住宅完成、東部春季会で「日本同盟基督教会」の名称提案(2・1)
伝道拠点9ヶ所、日曜学校19校810人、聖書学校1校16人、ミッション管理下の受洗者54人(4・14)
行徳で東部夏季会、教会名称「日本同盟基督教会」とする(5・1)
鎌倉由比ヶ浜でアウレルによる浸礼式(5名)
幕張安息日学校生徒運動会(50人、権現山6・18)
本所押上安息日学校生徒運動会(63人、東叡山6・21)
アウレル一時帰国(9・24~1900・2・16)
アウエルの後任として小梅町にA・ダニエルソン(10・8)
小梅町同盟基督教会献堂(10・28)
この年、行徳の永井寅太郎、東部の書記として活動。M・ジョンソン一時帰国